ブログへの想い

セラピストを指導する中で、自己学習を頑張っていてもなかなか結果に結びつかないという方をたくさん見てきました。
当初は結果につながらないのは努力がまだ足りないからだろうと思っていましたが、同じような方と数人出会うとそうではないことに気づきます。
努力が結果に結びつかない原因は共通して計画性にあると思いました。
頑張る人ほど焦りや不安から、短絡的にただ新しい方法を覚えて実践するということを繰り返しているのではないでしょうか?
治療や自己学習を計画的に行うことができれば、経験が浅いセラピストでも必ずリハビリ効果をあげることができます。
また、その経験によって飛躍的に成長することもできます。
このサイトは、頑張るセラピストへリハビリや自己学習を計画的に行うための知識や考え方を伝えたいと思い開設しました。
自己紹介

広島県三原市の作業療法士、当サイトを管理する小川と申します。
以前は急性期病院、回復期病院に勤めていましたが、2017年に独立して三原市と尾道市で自費リハビリをしています。
最近では近隣の病院や居宅介護支援事業所などと連携して、医療・介護保険でリハビリができない方の在宅支援に力を入れています。
また、保険が使える方でも不便な場所に住んでいると思うようなサービスが受けられないことがあるので、離島への訪問をはじめました。
その他、個別指導やセミナー講師としてセラピストの育成にも関わっています。
これからも知識と経験を生かして地域の医療・福祉に貢献していきたいと思っています。
私が独立するまでのお話
私は社会人経験を経て2007年から作業療法士として働きはじめました。
当時は自分の技術を磨くことが生きがいで
- ボバースアプローチ
- 認知神経リハビリテーション
など様々な勉強会に参加していました。
一つの節目に思っていたボバースアプローチ上級講習会を受講した年、娘を授かったことで転機を迎えます。
元々妻が病気を抱えていたこともあり、子育てのため当時住んでいた広島市から、夫婦の地元である三原市へ戻って再就職することにしました。
再就職してからの一年間は元の職場へ外部講師として関わりながら、新しい職場にも慣れていきました。
翌年の外部講師の契約終了後、一人の患者様から
「三原市に行くから以前のように体を診てもらえないか?」
との提案をいただき、それをどうすれば実現できるかを考えるようになります。
その当時は起業したいというよりも、必要としてくれる方を大事にしたいという思いで、自費でのリハビリを週末に実家の一室で開始しました。
※当時は賃貸マンションで生活
口コミだけで利用される方がどんどん増え、実家のトイレの前で待ってもらったり、実家の駐車場で待ってもらったりという状態になりました。
このままでは来てくれている方に申し訳ないという思いから、会社員であることを忘れ、自宅兼店舗になる物件を探しはじめます。
探しはじめて3ヶ月後、運命を感じるようなイメージ通りの物件と出会い…即決で購入。
購入してからは、家族との新居での楽しい生活、利用してくれる方が喜んでくれることばかりを考えていましたが…
新居に住みはじめて10日後の昼休憩中…
妻が勤務先の病院へ救急車で運ばれて来る!
スーパーの駐車場に車を止め、車の中で倒れていたそうです。
当時2歳の娘も救急車に乗っていました。
※娘は救急車に乗ったことを今でも覚えています。
診断名は脳出血(左被殻出血)、広範囲ですぐに開頭外減圧と血種除去手術になりました。
次の日からリハビリ担当は私。
この日から
- 病院での仕事
- 妻の付き添い
- 子育て(当時2歳4ヶ月)
- 週末の仕事
- 引越し後の片付け
- 自己学習
今では懐かしいぐらいのハードな日々が始まりました。
周囲から反対はありましたが、今後の介護と子育ての両立を考え、偶然やっていた週末の仕事を本業にしていくことに決めました。
毎日の日課
- 朝:仕事が始まるまで読書
- 昼:休憩時間に読書
- 夜:娘が寝たら読書
空き時間を有効に使って経営の勉強をしました。
この生活が約2ヶ月続き、妻が退院する日が来ました。
幸いにも麻痺はありませんでしたが、軽い失語と失行、記憶力や注意力の低下があり、自宅に帰ったときは最低限の身の回りのことができる程度。
失語により娘ともお互いに距離がある状態が数ヶ月続きました。
私が仕事に行っているときは妻の母親に付き添ってもらっていましたが、特に何もせず一日を過ごしている状態。
一緒に仕事ができれば妻も役割が持てると思い、ついに退職を決意します。
そして…
妻のリハビリや準備などで退院してから1年後に開業することができました。
開業した当初は、週3日病院でアルバイトをしながら少しずつ仕事を増やしました。
現在は周りの方に助けられながら、妻とともに自宅での仕事に専念できています。
妻は仕事を手伝いながらできることが増え、子育てや家事がある程度できるようになりました。
今思い返すととても充実した日々でした…
作業療法士としても。